Japanese, 2023年4月

プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年4月1日

神なる愛の化身である皆さん!主はその無数の手足、目、顔、耳によって、宇宙のすべてに行き渡っています。しかし、人間はその事実を認識せず、自分が行為者であると推測して、誰も知らないと思いながら、あらゆる類の憶測にふけっています。主はすべてを見ています。誰一人として主に隠し事をすることはできません。主は生きとし生けるものすべての内と外に宿ります。それゆえ、主から隠せるものはないのです。神は、生きとし生けるものすべての中に、同一の姿で宿っています。生きとし生けるものは互いに異なるかもしれませんが、神は一つであり、それを分かつことはできません。太陽は湖の水も、井戸水も、器に入った水も、川の水も、海の水も照らします。太陽は一つですが、さまざまに反射します。器はさまざまですが、万物の中にある神は同じものであり、一つです。世界の中で神よりも人間に近いものはありません。あなたにとって神は、母親よりも近く、父親よりも親しい存在です。そのような神を忘れるわけにはいきません。この良き助言を心に留めておきなさい。

―1991年1月14日の御講話

 

プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年4月2日

人が持っている役職は一時的なものです。もしその役職に価値を置くのであれば、引退して公園のベンチに座り始めた途端、人々から認識されなくなり、挨拶もされなくなるでしょう。外側だけを磨くような学校教育は、機会の無駄遣いです。教育は単なる生活のためではなく、人生のため、より充実した人生のため、より意義深く、より価値ある人生のためにあるのです!就職のためでもあるというのなら、害はありません。しかし、教育を受けた者は、生計を立て、高収入の職を得ることだけがすべてではないということを知っておかなければなりません。繰り返しますが、教育とは、議論や批判の能力を伸ばしたり、敵対者に反論して勝利したり、あなたが言語や論理に熟達していることを示すためにあるのではありません!この輪廻転生に打ち勝つことを教え、死の予感に襲われることなく、運命という不幸や祝福にかき乱されることなく、心に平静をもたらす学問こそが最上です。その学問は、あなた方のこの学業が終わったところから、その学問が始まります!

―1963年9月12日の御講話

真の教育は、真理と愛にあふれています。―ババ

 

プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年4月3日

エゴという悪徳、貪欲という邪悪、妬みという毒を取り除きなさい。あなたが外側の何かから喜びを求める時、それよりもはるかに大きな喜びがあなたの内側の意識の中で待っている、ということを思い出しなさい。もしあなたが、あなたの外側の誰か、あるいは、何かを恐れているならば、その恐れはあなた自身の心の中で生まれ、かき立てられ、大きくなるということ、そして、あなたはその恐れを否定することによって恐れを克服することができる、ということを思い出しなさい。恐れが霊性の求道者の道に立ちはだかることなどどうやってできるでしょう? 恐れはどんな影にも隠れることはできず、自分のハートに神を有するサーダカ(霊性の求道者/霊性修行者)を苦しめることはできません。
全能の神を信じることは、サーダカが身につけることのできる、決して射抜かれることのない甲冑です。そして、自覚している、いないにかかわらず、どの国の人もサーダカです。不動であり、揺らぐことなく、まっすぐに進み、絶望することなく理想を固守しなさい。神が憐れむまで祈りなさい。もしあなたが期待している時に神が恩寵の雨を注いでくれなくても、悲しんでそっぽを向いてはなりません。

―1976年10月1日の御講話

あなた方は、世俗的な感情や思考を捨て去り、一体性の原理を完全に信じる心を培うべきです。―ババ

 

プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年4月4日

仏陀は、人間の生につきまとう苦しみについてたいそう思い悩んでいたので、人の心と理知の行動を調べて、それらを矯正する修行を見出しました。仏陀は、人を欲望の渦へと引き込む心の気まぐれな動きを分析しました。仏陀は、理性の傾向も分析し、偏見が根付く領域を突き止めました。そして、何にもまして、仏陀は、ダルマへの全託、慈悲への全託、そして、ブッダ(悟りを開いた者の総称)への全託を説きました。マハーヴィーラが全インドに及ぶ運動を展開させた宗教であるジャイナ教は、ジナ(五感を征服した英雄/勝利者)、熱情、そして、理知の戦略をこの上なく称賛します。マハーヴィーラは、各人の地位と職業に見合った義務を確固たる信仰と熱意を持って遂行するよう皆に呼びかけました。マハーヴィーラは、無生物も生物も、すべてはその存在自体が聖なるものであり、悟りへの道を歩む巡礼者にほかならないと宣言しました。それらのいずれかに与えられるいかなる傷害も、その神聖な旅路への介入であるため、細心の注意を払って避けなければなりません!

―1976年10月1日の御講話

諸感覚を野放しにすると、あらゆる種類の反応が起こります。諸感覚が統一された制御下に置かれたときに初めて、神の本質を理解することができるのです。―ババ

 

プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年4月5日

自分の好き嫌いを他の人の好みに合わせることを身に付けなさい。犠牲と奉仕という心優しき術を身に付けなさい。覚えておきなさい、義理の母に対して怒りをもって返すなら、あなたも義理の娘から同じような仕打ちをされる日が来るということを! 義理の母の観点に感謝するようにしなさい。義理の母は、あなたよりも深い思慮、豊富な経験、大きな責任感を持っていることでしょう。家事については新米のあなたよりも、人や物事についてよく知っていることでしょう。結婚してあなたが入ることになる夫の家庭は、よい訓練の場、霊性修行の場(サーダナ クシェートラ)です。欠点を指摘されても怒り出してはなりません。自分の行いをよく調べて、自分の誤りを見つけなさい。自分を調べることは、自己改善と平安への第一歩です。他の人の欠点は過大視せず、許容範囲を広くして、小さなものと見なしなさい。自分の欠点は過大視し、大きなものと見なして、早くなくすよう努力しなさい。あなたの欠点を探す人は誰もが友人であり、自分の幸福を願う人だと思いなさい。

―1963年9月12日の御講話

帰依者に期待される最も重要な資質は忍耐です。―ババ

 

プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年4月6日

やさしい性格とやさしい言葉を育みなさい。やさしい言葉はやさしい性格があれば自然と出てくるものです。怒りと悪意のない言葉、取り繕ったものでも形だけのものでもない、ハートから直接出てくる言葉を話しなさい。そうすれば、あなたはすべての人に喜びと愛を拡げることになるでしょう。あなたの両親が、あなたに望みの服を着せてやれなくても、あなたがとても欲しいと思っているきらびやかな装飾品を与えられなくても、腹を立てて両親と口論してはなりません。一般大衆からのプレッシャーに身を任せてしまおうという誘惑に負けないくらいの度胸を持ちなさい。善い性質を養うこと(グナ ポーシャナ)は、体を養うこと(デーハ ポーシャナ)と同じように大切なことだということを覚えておきなさい。あなた方は、人目を引く服装をして、何冊もの本を抱えて、バスに乗って出歩いていますが、私に言わせるなら、女性にとって最も効果のある化粧品は有徳の振る舞い(シーラム)です。ナスタ(朝食)を重んじるのではなく、ニシタ(修行)を重んじなさい。朝食は抜いてもかまいませんが、修行を抜いてはなりません。今後は規則正しい修行の生活を送りな�
�さい。それを習慣にして、それをあなたを危害から守ってくれる鎧にしなさい。

– 1963年9月12日の御講話

人格を育むことなく、友人の輪や富や力を増やしても何の役にも立ちません。―ババ

 

プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年4月7日 

磔の時、母マリアはイエスのそばに来て泣き始めました。「なぜ泣いているのですか、お母さん? この肉体は水の泡のようなものです。この肉体を彼らの望むようにさせましょう。お母さんは彼らが私を殺そうとしていると思っています。私に死はありません。だれも私を殺すことはできません」と言って、イエスはマリアを慰めました。マリアは尋ねました。「あなたは私の肉体の息子ではないのですか?」。イエスは答えました。「もちろんです! 肉体レベルでは、私はあなたの息子で、親子の関係があります。けれども、『私は私』に他なりません。すべての人は私の子です。すべての人は神性の化身です」。このようにして、イエスはあらゆる試練を経て、最高レベルの霊性に到達しました。イエスは単なる人間の姿ではありません。彼は、本当に神我の化身そのものだったのです。けれども、その神性に気づくことができない人々がいました。今でもなお、一部の人は神を信じていますが、それ以外の人は信じていません。ある人は神を褒め称え、ある人は批判します。すべてはその人の信仰次第です。もし、あなたが石を神と見なすなら、石は自然と神になるでしょう�
�。

―2007年12月26日の御講話

心の病である無知は、英知によって取り除かれなければなりません。自分が肉体ではなくアートマであることを思い出せば、あなたは英知へと導かれるでしょう。―ババ

 

プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉(2023年4月11日)

この世界にいるすべての人は、ある人を、あるいはそれ以外の人を愛しています。しかし、そのような愛には違いがあります。すべての身体の中には、一なる神が存在しています。神はすべての人間の中に存在するのですから、すべてを愛し、すべてに奉仕しなさい。この全世界に、神が存在しない場所はありません。空の中にも、水中にも、音の中にも、光の中にも、神が存在しています。このように、この全世界に存在する万物は、具現化された神なのです。私たちは、このような遍在する神を見捨てて、寺院にある偶像の姿をした神を礼拝しています。もちろん、これらの偶像を礼拝してよいのです。そのことには何の問題もありません。しかし、その偶像の中にいる神と、すべての人間、いえ、生きとし生けるすべての中に存在している神と同一であるという真理を、あなた方は悟らなければなりません。まずあなた自身を神と見なしなさい。それから、生きとし生けるすべての中に同一の神を見ることを始めなさい。あなたの身体は寺院です。その寺院には神性エネルギーがあります。

―2007年7月28日の御講話

あなたのすべての行為の目撃者として、神はあらゆる場所にいます。あなたが出会い、奉仕するすべての存在の中に神はいます。あなたがそのような考え方を実践するなら、きっと主のビジョンという見返りが得られるでしょう。―ババ

 

プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉(2023年4月12日)

あなた方は「至福が欲しい」と言います。この至福はどこから来るのでしょうか? 市場の店で購入することができるでしょうか? あるいはホテルで食べることのできるものでしょうか? いいえ、まったくそうではありません。至福は内から生じるものです。実際のところ、あなた方は至福の化身そのものなのです。誕生した時、あなたは至福に満ちています。しかし、ひとたび世の中に執着するようになると、泣き始めるのです。それゆえ、世俗への執着を減らす必要があるのです。あなたは今、世俗に対するたくさんの執着心を抱いています。それによって自分の身体を弱めているのです。最終的には悲しみの中で人生を終えることになるでしょう。心配は非常に悪い性質です。性急さと心配と油分の多い料理、これら三つが集まると、心臓が弱くなります。ですからこれらから離れなさい。困難に遭遇したときには、これらは過ぎ行く雲のようなものであり、きっといつかは過ぎ去るのだと、確信すればよいのです。ですから、心配する必要はありません。来たものは何であれ、いつかは去っていくのです。それらは一時的なものです。

―2007年7月28日の御講話

逆境に遭遇しても絶望してはなりませんし、成功に恵まれても有頂天になってはいけません。どのような逆境も、永遠の至福につながる飛び石の一つです。―ババ

 

プラシャーンティニラヤムからの御言葉(2023年4月14日)

愛の化身である皆さん!お正月が真理と正義という新しい原理をもたらすのではありません。それらは永遠不変です。それらが実践されると、全世界が守られるでしょう。ですから、私たちは常にこの2つの原理を心に留めておかなければなりません。人間にとって、真理と正義は己の両目です。実際のところ、これらは生命原理そのものです。人は、どんな活動に着手してもよいし、どんな仕事やビジネスをしてもかまいませんが、すべての努力の底流には真理と正義が流れていなければなりません。人間は、より新しい道を歩まなければなりません。何年も過ぎましたが、人間は古臭く卑屈な気持ちを捨てていません。人は、己のハートを浄化しなければなりません。ハートが変容して初めて人間性が花開くのです。(お正月に)ただ新しい服を着るだけでは十分ではありません。己の性格や行動を変えなければなりません。人間の振る舞いは、真理と正義に基づいているべきです。

―2003年4月14日の御講話

神の恩寵を得れば、あなたはどんな障害も乗り越え、いかなる種類の富をも手に入れることができます。―ババ

 

プラシャーンティニラヤムからの御言葉(2023年4月15日)

些細でつまらない物事を神に求めたり、望んだり、祈るべきではありません。最も尊く、望ましいものは、神の愛以外にありません。もしあなたが神に何かを求めたいのなら、神にこう祈りなさい。「おお主よ!私にあなただけを得させてください。」あなたが主を確保すれば、何でも欲しい物が得られます。だからこそミーラーは「私は神の愛という宝石の富を手に入れました」と歌ったのです。神の愛を手に入れることができれば、それ以外のものを渇望することは、カルパタル(願望成就の木)にコーヒーの粉を求めるようなものです!あなたが神に求めるべきものは、神そのものであり、小さく価値のない利益ではありません!神の恩寵を求めて祈るときでさえも、神に認められ、好意を抱いてもらうために、大袈裟に賛美したりお世辞を言ったりしてはなりません。このような好意を得るための賛美には、商業的な色合いがあります。このような賛美によって助けを得ることも、まったく適切ではありません。このような賛美に頼ったがために、古のリシやヨーギたちは、神のビジョンを得るために数百年もの苦行をしなければならなかったのです。

―1989年10月9日の御講話

神の愛を求めて祈りなさい。愛というメッセージを広めながら人生を送りなさい。―ババ

 

プラシャーンティニラヤムからの御言葉(2023年4月18日)

今やダルマは、他人から利益を得るための便利な口実となっており、他人に対する義務を果たす機会ではなくなっています!他人から何らかの利益を搾り取ろうとするとき、あなたは他の人にそのことを思い出させているのです。ダルマが与える権利だけでなく、ダルマが課す義務のことも覚えておかなければなりません。 利己心と誤った価値観を受け入れることが、ダルマを無視しようとする誘惑へと成長します。低次の欲望を満たしたいという願望が、アダルマ(不正)の根源です。この願望は、夜中の泥棒のように、あるいは、あなたを助けに来る同志のように、あるいは、あなたに付き添う使用人のように、あるいは、あなたに警告するカウンセラーのように、ずるずると、静かに、あなたを捕らえていきます!邪悪は、あなたのハートをとらえるために千のトリックを持っています!誘惑に対して、あなたは常に警戒していなければなりません。願望は、あなたの意識の中に隙間を作り、そこに入り込んで定着し、その種族を増やして、あなたが苦労して築き上げた人格を食い荒らします。そうなると、その砦はもはやあなたの制御下にはありません。あなたは、己の内なる敵ぁ
�冒爐蕕譴襦∩爐蠖遊舛棒�蟆爾�辰討靴泙辰燭里任后�

―1964年4月15日の御講話

起きている間はずっと、自分はダルマの教えに従っているのか、それとも外れているのかを、調べなければなりません。― ババ

 

プラシャーンティニラヤムからの御言葉(2023年4月21日)

現代においては、真理、正義、平安、愛に関するスピーチが行われ、価値を広めるための展示会が催されています。しかし、実生活の中でこれらの価値を実証しようとする試みはなされていません。価値が実践されないのであれば、スピーチや展示会が何の役に立つのでしょう?宣伝活動によって世界が変容することはありません。これらの理想の生きた模範があって初めて、その理想は意義深く、奮い立たせるものとなるのです。世の中のあらゆる混乱は、人々が二重生活を送っていることに起因しています。言行不一致なのです。思いと言葉と行動が一貫していなければなりません。調和のとれた生き方を通して人類の一体性を促進し、すべての人と喜びを分かち合うことの中に、真の霊性があります。バジャンやあらゆる形の礼拝は、単なる善行にすぎず、霊性においてはどうでもいいことです。信愛は、万物に対する愛を表現することにあります。スピーチによってハートの変容をもたらすことはできません。それらはしばしば混乱と対立を招きます。スピーチよりも優れているのは、神への信仰を伴った愛の実践です。

―1989年3月24日の御講話

神を信じていながら、神の言葉や命令を無視することは、あなた自身を否定していることになります。―ババ

 

プラシャーンティニラヤムからの御言葉(2023年4月23日)

空気は空気と、火は火と、水は水と容易に混ざり合います。同じように、神は光の姿そのものなのですから、あなた自身が光となりなさい。あなたは宇宙の光と一つになるでしょう。神には姿形がありません。無相の神に融合するためには、身体とあなた自身を一体視することを止めなければなりません。常に身体に執着しているのであれば、どうして宇宙原理であるアートマを悟ることができるでしょう?アートマに集中しなさい。そうして初めて、あなたの良心が宇宙意識に溶け込むのです。この一体化を「サーユッジヤ(神との融合)」と呼びます。エーカートマ サルヴァ ブータンタラートマ(唯一なるアートマが万物に宿っている)。ただ一つの存在しかありません。しかしそれにはさまざまな名と姿があるのです。存在するものは1つだけです。ゼロに価値があるのは、先に1があるからです。世界、生命、太陽、月、空、その他すべてのものはゼロです。1つだけの存在がヒーローです。それが神です。本質的には神である人間は、神を忘れればゼロになります。愛の化身である皆さん!神はあなたとは別の存在ではありません。あなたが神なのです。この真理を探究し、理解し�
�なさい。人生のすべてを研究や実験に費やすのであれば、いつ実践するつもりですか?一人ひとりの名、姿、属性は異なるかもしれません。しかしアートマは変わらないままです。

―1998年11月23日の御講話

無相の神に、どうして姿形の制限があるのですか?神はどのような姿をしていても、どのようなグナ(属性)をもっていてもいいのです。世のためになるのであれば、どんな行動をしてもいいのです。―ババ

 

プラシャーンティニラヤムからの御言葉(2023年4月24日)

参照するための便宜上、私たちは同一の原理に対してさまざまな名をつけています。たとえば、この肉体はサティヤと名づけられています。しかし、この名前は私の肉体に関係しているのであって、私とは関係ありません。私は肉体ではありません。私は心ではありません。私は知性ではありません。私はチッタ(心素)ではありません。私は想像の産物ではありません。バガヴァン(尊者、尊神)はバガヴァンです。このような固い信念を養いなさい。食習慣や余暇の過ごし方の変化に影響されやすい心(マインド)を持つ人々がいる可能性があります。また、このような人々は、友人の影響を受けやすいものです。それゆえ私は、高潔な魂の持ち主の仲間に加わりなさいと、皆さんにアドバイスするのです。誰でも解脱(ムクティ)を得ることができます。しかし、いつでしょう?あなたの中に「私はアートマである」という真理が確立された瞬間、あなたは解脱を得るでしょう。常に「スワミは私の中にいる。私はスワミの中にいる」と考えなさい。しかし、揺れ動く心(マインド)で「私はスワミ、私はスワミ」と繰り返しても、何の役にも立ちません。「私はスワミ、私は神、私は神」�
�を確信しなさい。その確信が得られたときに初めて、皆さんは、ニルグナム(無属性)、ニランジャナム(無垢)、サナータナ ニケータナム(最後の住居)、ニッティヤ(永遠)、シュッダ(純粋)、ブッダ(大悟)、ムクタ(自由)、ニルマラ スワルーピナム(神聖さの権化)である神に到達するでしょう。

―2007年7月28日の御講話

時間があるときにはいつも、スワミのことを思いなさい。私は必ずあなたの前に姿を現します。それだけでなく、私はあなたに話しかけさえするでしょう。―ババ

 

プラシャーンティニラヤムからの御言葉(2023年4月25日)

愛の化身である皆さん!皆さんの名前と姿形は様々ですが、皆さん全員の中にある愛の原理は同じです。だからこそ、私は皆さんに「愛の化身である皆さん」と呼びかけるのです。愛は常に一つです。愛は分割されてはならないものです。神は一つであると考えて、心の底から神を愛しなさい。そのような、神に向けられた一意専心の愛こそが、真のバクティと呼べるのです。ジャヤデーヴァ、ガウランガ〔チャイタニヤ〕、エークナートといった帰依者たちは、そのような愛を深めて人生を聖化しました。同様に、ミーラーとサックバーイーも、揺るぎない愛と神へのバクティを持っていました。彼らが様々な御名と御姿を礼拝することはありませんでした。彼らは一つの道を歩みました。彼らは一つの御名と一つの御姿をハートに据えて、自分が選んだ神を絶え間なく憶念しました。二心(ふたごころ)を持ち、しばしば道を変える人は、人生をだめにすることになります。ですから、決して二心を持ってはなりません。一意専心(エーカートマ・バーヴァ)をもって神を体験しなさい。ラーマ、クリシュナ、イーシュワラ等々、どんな御名を選んでもかまいません。その御姿を瞑想しなさい�
�。必ず人生の目的地に到達することでしょう。

―2005年4月13日の御講話

訳注:

ジャヤデーヴァ: 12世紀インドの詩人。クリシュナへのラーダーの熱情を歌ったサンスクリット語の詩『ギータ・ゴーヴィンダ』で知られる。

ガウランガ: 1486-1533。神の化身と賞賛された聖者チャイタニヤの本名。白い肌を持つものの意。24歳のときに入門式を受けてサンニャーサとなり、つねにクリシュナ神の名前を唱えて至福に浸りながらインド全土を回った。

エークナート: 1533-1599(?)。バクティを重視するワールカリー派の宗教詩人。マラーティ語で『バーガヴァタ・プラーナ』の注釈書『エークナーティー・バーグヴァト』を著した。

ミーラー: 1547-1614あるいは1498-1563。メワール王国の都チットール(ウダイプルに遷都される前の都)のマハーラナ(藩主)の妃で、クリシュナ神の偉大な帰依者。

サックバーイー: 義母と夫に苦しめられたが、それに耐え、純粋な「バクティ」(信愛)をヴィッタラ神に捧げた偉大な帰依者として知られている。

ブラフマ・タットワ(無相の実在)を、悟るためには、無相に到達するための足がかりとして、一つの御姿を選ばなくてはなりません。―ババ

 

プラシャーンティニラヤムからの御言葉(2003年4月26日)

愛の力は比類なきものです。それは人間の理解の範囲を超えています。愛は、愛を通してのみ理解できます。ミーラーの夫であったラナは、クリシュナのために寺院を建立しました。ミーラーは神の偉大な信者であったため、いつも寺院の中で恍惚となって神の栄光を歌っていました。そして、それがラナの怒りを買うこととなりました。ラナはミーラーに寺院を離れるよう命じました。ミーラーにそれに大変なショックを受けました。ミーラーは心の中で考えました。「クリシュナは遍在で、この寺院に閉じ込められているわけではないのだから、ラナが私をクリシュナから引き離すことなどどうしてできるでしょう?」ミーラーは家を出て家庭を去り、マトゥラー〔クリシュナが統治した都〕に向かいました。マトゥラーとはどこでしょうか? それは地理上のどこかの場所ではありません。甘美な愛に満たされたハートこそが、マトゥラーです。ミーラーは歌いました。「チャロー レー マン ガンガー ヤムナー ティール(おお、心よ! ガンジス河とヤムナー河の合流地点へお行きなさい)」。ここでのガンジス河とヤムナー河とは、イダーぁ
�肇團鵐�蕁次蔑酖�糞い��譴觝険Δ領邊鼻砲鮠歡��飽嫐�垢襪發里任后�ぅ澄爾肇團鵐�蕁爾�鬚錣詒�屬涼羆獷魯泪肇ゥ蕁爾鯢修靴討い泙后�海譴�修硫里糧覽慧�憤嫐�任后��

―2005年4月13日の御講話

神を賛美するだけでは十分ではありません。あなた方は神を愛さなければなりません。全宇宙を愛することができるように、あなたが愛そのものにならなければいけません。―ババ

 

プラシャーンティニラヤムからの御言葉(2023年4月27日)

すべての生き物とすべての物事は神です。しかし、知的な分析によって、あなた方は自分を助けてくれる人と物事を選び、自分を妨げる人と物事は避けなければなりません。これは英知の道です。電流や火や鋭いナイフを例に取りましょう。これらは皆、使い方を知らなければ危険ですが、慎重に扱う方法を知っていれば役に立ちます。これらは敵にもなれれば、味方にもなれます。諸感覚も同じです。感覚にあなたを支配することを許してしまえば、感覚は不倶戴天(ふぐたいてん)の敵となりますが、あなたが感覚を支配すれば、感覚は目的地に到達するのを助けてくれます。人は、外界に注意を引きつける諸感覚を支配しなければなりません。感覚に引っ張られている限り、輪廻(りんね)の二元(苦楽、悲喜など)の鎖から自由になることはできません。諸感覚は、人を外界にではなく内なる意識へと連れていってくれる霊性の道の、障害物です。鳥や獣は魂の渇きに苦しめられることはありませんが、人は苦しめられます。人は、神の恩寵によって、この偉大な贈り物を授けられているのです。

―1970年11月20日の御講話

人間性の価値を決めるのは識別力だけです。人はあらゆる物事を所有することができるが、識別力がなければ何の役にも立ちません。―ババ

 

プラシャーンティニラヤムからの御言葉(2023年4月28日)

霊的進歩と至福は、習練を重ねる努力次第です。それは、楽しく安易な道によってではなく、厳しく困難な苦役によってのみ到達できるものです。習練を重ねる習慣と心の集中、感覚の喜びの放棄、アートマ(真我)への信仰を身につけたとき、初めて人生は生きる価値のあるものとなります。習練と集中は、氾濫(はんらん)した川の水を制御し、無害で有益な水路へと方向づける堤防のようなものです。皆さんは霊性修行(サーダナ)に従事して真我を探求していますが、この崇高な任務において、この二つは大きな助けになるでしょう。道を知らない者は、誰も目的地に到達できません。目的地を知らない者は、誰も道を選んで歩いていくことはできません。皆さんは、旅を決意する前に、旅の目的地と、行く道についての正しい理解を得ていなければなりません。

―1970年11月20日の御講話

あなたが行うすべての行動において、愛があなたを神へと導くはずです。これ以上の道や目標はありません。―ババ

 

プラシャーンティニラヤムからの御言葉(2023年4月29日)

この世では、何かを活用するには、何らかの方法でそれを変化させなければ、活用は不可能です。米は、稲を米粒に変え、それから炊かない限り、食べることはできません。同様に、布は、綿を糸に変えて、それから布に織らなければできません。それと同じように、人間には三つの点における変容が必要です。第一は肉体的な変容です。第二はマインド(マナス、思考の束、心)に関する変容です。第三はアートマ(神なる魂)に関わる変容です。アートマは不変です。変容が必要なのは体とマインドだけです。どうすれば変容は起こるのでしょう? たとえば、「銀は神になれるのか?」、「石は神になれるのか?」と問うならば、答えは「イエス」です。彫刻家が岩の塊を聖堂で礼拝する美しい神の像に変えると、不活性で価値のなかったものが神聖なものになります。これが変容です。同様に、銀で作った神の像も礼拝の対象になります。それと同じように、つまらない、あらゆる世俗的なものも、時が経てば神聖で神々しいものに変わり得るのです。人間にはこうした変容が必要です。

―1984年7月14日の御講話

私たちに必要なのは、さまざまな種類の「情報(インフォメーション)」ではありません。必要なのは「変容(トランスフォーメーション)」です。―ババ

 

プラシャーンティニラヤムからの御言葉(2023年4月30日)

この世界は、万人に生来備わっているアートマの力によってのみ、救われることができます。アートマの力を、個人の霊性修行(サーダナ)によって、そして、愛と純粋さと奉仕によってのみ得られる神の恩寵によって、引き出さなくてはなりません。もしこの二つがなければ、崩壊(プララヤ)は確実です。それは避けられないことです。 今、最も不足しているものは愛です! 家庭においても、父と息子、夫と妻、兄弟同士の間に愛がありません。あなた方は、自分の行動と態度を通して、また、万人に内在する一なるアートマの認識を基盤として、愛が世界の問題を癒すことができるということを、証明しなければなりません。生活が、とても人工的なものになっています。人は、次の段階で何が起こるかわからないまま動いています。人々を正しく導くランプとなるために、準備を整えなさい。愛のランプになりなさい。それには一切が含まれています。そうであれば、ジャパや苦行(タパス)をする必要はありません。愛、他の人々(神がまとった姿)への愛のこもった奉仕は、あなたに神の恩寵を授けるでしょう。ですから、あなたのハ�
�ートの中に愛を祀(まつ)り、その愛を育てることを、今日、決意しなさい。その愛を、全人類のためのものに、利己的な欲望のないものにしなさい。愛の化身(プレーマ スワルーパ)になりなさい。

―1970年11月20日の御講話

私は、あなた方のハートに愛の灯をともし、それが日々輝きを増していくのを見届けるために来たのです!―ババ