プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月1日
あらゆる心(マインド)の動揺を静止させた結果である平安を、常に享受しなさい。心(マインド)があちらこちらに動き回るのを許してはなりません。静かに落ち着いていられるように訓練しなさい。外界との接触によって生じる心理的反応から距離を置きなさい。そうすれば、あなたは存在そのもの(サット)になることができます。それが聖賢の境地であり、感覚の領域を超えた状態であり、感覚の及ばないところです。それが、人生の最終目標である真の自己実現です。「沈黙を実践しなさい」と言われます。しかし、沈黙とは何でしょうか。単に口をつぐむことではありません。それは、五感の影響を受けずに、常に実在意識を確立することです。永遠の至福は、永遠の平安でもあります。心(マインド)が外界から遠ざかると、舌も静かになり、すべての感覚がそれに従うようになります。それが本当の静寂です。 – Prasanthi Vahini, Ch 24.
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月2日
カウラヴァ兄弟は、ダルマ(正しい行い)とモークシャ(解脱)を実践することなく、アルタ(富)とカーマ(欲望)という究極の目標を追い求める人々を待ち受ける災難を示すのに役立つ実例です。カウラヴァ兄弟は権力に酔い、貪欲とプライドに圧倒され、飽くなき欲望を抱いていました。そのため、とてつもない苦境に追い込まれ、滅ぼされました。『ラーマーヤナ』においては、アルタ(富)を蓄積しようと努め、カーマ(強欲)に流されたため、ラーヴァナは打ち負かされたのです。彼の「十の頭」は、彼が四つのヴェーダと六つのシャーストラに精通していたことを示しています。しかし、その学識が何かの役に立ったのでしょうか?アンジャネーヤ(ハヌマーン)の報告によると、ランカにはヴェーダの読誦が響き渡り、供犠の煙が立ち込めて先が見通せないほどでした。しかし、供犠を行っていたにも関わらず、ラークサシャ(悪鬼)たちは邪悪でした。儀式は正義をもたらすものでなければなりません。そうでなかったら、それはただの煩雑な手続きにすぎないのです。ラーヴァナはプルシャ(全能の神)ではなくプラクリティ(大自然)を、ラーマではなくシーターを手に入�
�れようとしました。そうして、彼の人生は不毛なものと化したのです。
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月3日
埃(ほこり)がついている鉄は錆び、その結果、その強度が失われます。しかし、火の中に入れると、その強度は回復します。まず、あなたの心(マインド)から埃を取り除かなければなりません。その埃とは何でしょう?埃は、悪い仲間と付き合うことによって生じる悪い感情のことです。悪い仲間がいるために、悪い想念を抱くのです。だからこそ「あなたの仲間を教えなさい、そうすればあなたが何者であるかを教えてあげよう」と言われているのです。時間をかけて吟味し、善良な人々との交友だけを求めなさい。あなたが良い地位にあるときには、誰もがあなたのことを「良い子だ」と呼び、あなたのところへやって来るでしょう。しかし、あなたが没落したら、一人残らず、さよならさえも言わずに、あなたから離れていくでしょう。このようなものは真の友情ではありません。真の友情とは何でしょう?困難や苦難の時期であっても、影のようにあなたから離れない存在が、真の友なのです。
– 1996年7月23日の御講話
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月5日
人間は至福を求めます。でも、どうすればそれが得られるのでしょう? 信仰があるところには愛があります。愛があるところには平安があり、 平安があるところには真理があります。真理があるところには神がいます。神がいるところには至福があります。霊性の道は信仰から始まり、至福で終わります。至福は、物質的な快楽や世の中の人々によって得られるものではありません。至福は、五つの感覚が正しく使われるようになって、初めて得られるものなのです。今日人々は、至福を得ようとして聖典を読みますが、書物には書物としての限界があります。聖典を研究することによって無限の至福を得ることはできません。無限の至福を得るためには、「無限の書物」を読まなければなりません。この世界そのものが「無限の書物」です。この世界には、学ぶべきことが実にたくさんあります。 皆さんの友達は誰ですか? 同学年や、同室の友人などではありません。神だけが、皆さんの真実の友であり、永遠の友なのです。皆さんは、この神という友達の助けを得たときに、初めて「無限の書物」を研究することができるのです。
– 1999年5月30日の御講話
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月7日
あなた方は、「バガヴァッドギーター」が治せる病気、すなわちモーハ(迷妄)という病気に苦しんでいます。この病気はあなたの価値観を覆い、視力を曇らせ、ものの見方を曲げさせます。しかし、薬に効き目を持たせるには、アルジュナが感じたヴィシャーダ(憂鬱)、アルジュナに受け入れる余地のあったプラパッティ(帰依全託)、アルジュナが身につけたヴァイラーギャ(無執着)、アルジュナがはっきりと示したエーカーグラタ(集中力)を持たなければなりません。アルジュナは、同族の者たちと師と年長者たちを殺した後、王位には就かずに物乞いをして生きるつもりでいました。それほどの熱烈な切望を持ちなさい。そうすれば、「バガヴァッドギーター」は、モーハを滅ぼして、あなたを解放することができるでしょう。自分が霊的にどのような発達段階にあるのか、それは学校のどのクラスに当てはまるのかを、独力で見出しなさい。そして、そのクラスから、その上のクラスへ進むことを決意しなさい。ベストを尽くして努力しなさい。そうすれば、神の恩寵を勝ち得るでしょう。投げ出したり、絶望したりしてはいけません。一度に一歩で十分です。ただし、それはゴ�
�ールへと向かう一歩であって、ゴールから遠ざかる一歩であってはなりません。
– 1966年2月19日の御講話
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月8日
何人かの人々が「彼はサソリに刺されたのでサイババになった」と話しているのを聞いたことがあるかもしれません。では、誰でもいいから、サソリに刺されてサイババに変身してごらんなさい。いいえ、サソリは関係ありません。実際、サソリなど、まったくいなかったのです。私は、ダルマ(正義)の復興を願う賢者や聖者、霊性志願者たちの祈りに応えてやって来たのです。ちょっとでも騒動が起こりそうな兆しがあれば、巡査が現場に現れます。もし人々が暴徒化したら警部補が駆けつけます。暴力沙汰になれば警視が自ら現場に出てきて鎮圧しなければなりません。しかし、もし危険な事態に陥ったら、監察官自らが出動しなければならないのではありませんか。これは、監察官が全責任を負う状況です。賢者たち、学者たち、聖者たち、ヨーギたち、神聖な人物たちは努力をしてきました。そして彼ら全員が協力し合いながら、正義を再確立し、世界が絶対的平和(シャーンティ)に到達するための地ならしをすることになるでしょう。
– 1958年2月23日の御講話
あなた方が本当は何者であるかを思い出させるために私が来たのだということを理解しなくてはなりません。あなた方は一人残らず、サット・チット・アーナンダ(存在・意識・至福)の化身なのです。―ババ
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月9日
もし心(マインド)とその気まぐれに屈し、心(マインド)が五感とその幻想の奴隷と化すのであれば、人は災難から逃れることができません。心(マインド)は幸福を求め、不幸を避けるよう人間を促します。それは区別を生み出し、活動を惑わせます。それは生涯を通じて、人間を前後に揺り動かし、押し出しては引き戻します。多くの場合、快適さの一形態に過ぎない幸福という概念は、心(マインド)の中に浮かぶと、飛行機やラジオ、憎しみに満たされた心(マインド)を荒廃させ喜ばせる爆弾のように、人間の手と頭脳によって物体として形成され、具体化しています。概念、欲望、渇望、切望――これらは実現するのです。ですから、世界は心(マインド)の産物に過ぎません。実際のところ、宇宙そのものが「エーコーハム バフッスヤーム(私は一である。私は多になりたい)」と意志した神の心(マインド)の現れなのです。宇宙は神の心(マインド)の中に生じ、そこで芽生え、伸びました。それ以来、心(マインド)は強力になり、広がったのです。あなた方一人ひとりにとって、世界を彩っているのは心(マインド)です。それが純粋であれば世界は心地よく、汚れて�
�いれば世界は危険に満ちています
-1971年7月23日の御講話
心は、人の束縛と解脱の原因であると言われています。悪い思考は束縛を生みます。善良な思考は解脱へと導きます。―ババ
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月11日
善良な資質を持つ青年だけが、善良なリーダーになることができます。リーダーシップを発揮するための準備として、社会奉仕に参加しなければなりません。誰もが、自分の幸福が社会全体の幸福につながることを理解すべきです。親や教師は、生徒たちにそのような姿勢を身につけさせなければなりません。人間は、物理的な世界においてさまざまなことを成し遂げてきましたが、どこまで人間としての資質を高めることができたでしょうか?これは、今日の世界が直面している問題です。バーラタの古代史を勉強すれば、古代の人々が真理をいかに重要視していたかがわかるはずです。個人レベルでは違いがあるかもしれませんが、国益に関わることであれば、その違いを忘れて、全員が一致団結して行動すべきです。これは、ダルマジャ(パーンダヴァ兄弟の長兄)が従兄弟のカウラヴァ兄弟たちに対して取った態度です。彼は言いました。「私たち5人のパーンダヴァ兄弟は、個人レベルでは100人のカウラヴァ兄弟と敵対する立場にいるかもしれません。しかし、もし国が危機に瀕しているならば、私たちは105人となって戦います。国を守ることは我々の義務な�
�のです。」
– 1993年11月22日の御講話
勉学と共に、謙虚さと畏敬の念を培い、模範的な振る舞いを身につけなさい。ーババ
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月12日
学生諸君!国の未来は、良くも悪くもあなた方にかかっているのです。古い世代に国を改革することはできません。規律正しく、よく教育された若い世代だけが、将来のリーダーとして、十分に国に奉仕することができるのです。全世界を広大な邸宅として扱いなさい。バーラタ(インド)だけでなく、各国の安寧のために等しく努力しなさい。他人が何と言おうとも、自分の原理原則と信念を貫きなさい。ゴーピカー(クリシュナを愛した牧女)の例を心に留めておきなさい。彼女たちがクリシュナに対して抱いていた信愛は固く、揺るぎないものでした。真理はあなたの命の息吹であると見なしなさい。真理を語り、正義を実践するならば、あなたは最高の境地に到達するでしょう。生計を立てるにしても、人生で何かを経験するにしても、真理に忠実でありなさい。不正に得た富は、同じやり方で失われるでしょう。教育や医療やその他の分野で、社会的に有益な活動に従事しなさい。お金を稼ぐことよりも、手放すことの方がもっと大切です。このような奉仕の精神を身につけた学生は、どんな国に行ってもよいのです。卒業証書を就職するための物乞い道具に使ってはいけません。国に�
�奉仕し、高潔な人生を送るために、あなたが受けた教育を正しく活用しなさい。これが、皆さんへ贈る私の祝福です。
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月13日
学問や名声といった物事を蓄積しても、得たものが自分自身や他の人々にとって実際に役に立たない限りは、何の価値も生み出しません。人間の中で英知が目覚める必要があります。それは、自分自身であると信じている肉体が、自分によって操られている道具に過ぎないということを理解する英知です。それが、より高い霊的意識への第一歩となるのです。すべての人の中には、常に自由で、常に無執着で、常に純粋なアートマが存在します。それがブラフマン(絶対的実在)であり、宇宙意識であり、すべての人の中に潜在し、顕在しているのです。見事な無関心で世界を眺めるとき、ヨーガ(神との交流)が目覚めます。これこそが至高のアーナンダ(神聖なる至福)の源です。放棄や無執着がどうして歓喜につながるのか、と問われるかもしれません。活動に従事している間、自分中心の感覚を捨てなさい。感情や反応を経験している間、自分がその享受者であるという感覚を捨てなさい。そうすれば常に歓喜の中にいることができます。そのとき、ボーギ(享受者)は本当にヨーギ(霊的に進歩した人)となるのです。
– 1983年4月21日の御講話
活動を行う時にエゴを排除し、有形物を使う時に執着を持たなければ、ティヤーガ(放棄)とボーガ(享受)の違いはなくなるでしょう。―ババ
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月16日
私たちは、カリ・ユガという今の時代を最大限に活用し、良いことをして、この世界で幸せに暮らすよう努めなければなりません。過去は過去であり、二度と戻って来ませんし、私たちに未来はわからないのです。現在は永遠ではなく、常に変化し動いています。だからこそ私たちは「善良でありなさい。善行を為しなさい。善を見なさい。それが神への道です。」と言うのです。善良であろうと努め、あなたのハートを善で満たし、善良な人生を送りなさい。そうすればその結果も良いものとなるでしょう。病気になったときには、それを悔やんでいても仕方ありません。必要なのは、どうにかして適切な薬を手に入れて服用し、その病気を治すことです。病気になったと嘆き悲しむよりも、その病気を治して、体が元気になるように努力する方がよいのです。ですから、このカリ・ユガに悪が起きていることを嘆くのではなく、常に善であるよう努め、この世界から悪を取り除く努力をしなければなりません。
– Summer Showers 1972, Ch 11.
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月17日
もし、プラーラブダ・カルマ(過去の行いによって宿命づけられた結果)の影響が避けられないと思うのであれば、神を崇拝することに何の意味があるでしょう?プラーラブダ(宿命)があったとしても、神の恩寵が、その悪影響の大部分を確実に取り除いてくれるでしょう。ここで小さな例を紹介します。一本の注射筒(シリンジ)があります。そこには、中に入っている薬は1970年まで使えると書いてあります。1972年、まさにそのシリンジが残っていて、その中の薬も残っています。しかし、その薬にはもう効果がありません。目的を果たすことができないのです。同じように、私たちの運命の中にはその薬のようなもの、プラーラブダのようなものがあるかもしれません。しかし神の恩寵は、その効果を弱めたり、鈍らせることができます。たとえそれらがあったとしても、それが私たちを悩ませることはありません。私たちは神の恩寵を受け取ることができます。プラーラブダもサンチタ(蓄積)もアガーミ(未来)も、恐れる必要はないのです。神が私たちの礼拝に喜ぶのであれば、必ずこれらの悪影響を取り除いてくれるでしょう。したがって、私たちが努力しなけれ�
�ばならない最も重要なことは、神の恩寵を得ることであり、それによってこれらの悪影響すべてを乗り越えることができるのです。
– 1972年夏期講習、第11章
罪の山は、神の恩寵によって霧のように消え去ります。―ババ
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月19日
利己心を持ったまま、百万本の花を供えてプージャー(礼拝)をしてごらんなさい。どの花も拒絶され、一本たりとも受け取られることはないでしょう。一輪の蓮の花を、あなたのハートを、とても清々(すがすが)しいハートを供えなさい。サティヤ サイはそれを受け取り、愛と平安を授けます。あなたの美徳を花として供えなさい。美しさと芳香を放つ美徳を。強欲、怒りや憎しみといった害虫の付いていない、蓮の花のようなハートを捧げるのです。神性という種子は、人の努力と、たゆまぬ気遣いによっ て、大切に育てなければなりません。そうして花は咲き、実を結ぶのです。思いと言葉と行動によって他者を傷つけるような欲望を、あなたの心からすべて取り除き なさい。そんな一時の満足を与える行為に耽(ふ)けることで得る報いは、悲惨なものとなるでしょう。そうした行為の一つひとつは、あなたの心に種として植え付けられ、雑草のようにはびこって、あなたの平安と喜びを壊すことでしょう。ですから、油断大敵です。あなたの思いと言葉と行動をきれいにして、神となる定めに向かって進む人として振る舞いなさい。それに成功してゴールにたぁ
����り着くよう、私はあなた方を祝福します。
– 1983年4月21日の御講話
サイは、石やレンガやモルタルの建造物の中に住んでいるのではありません。普遍的な愛が香り、慈愛によって温かくなっている、優しいハートの中に住んでいるのです。―ババ
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月20日
愛の化身である皆さん!人生は尊く、気高く、高潔です。嘆かわしいことに、人間はこのことを理解していません。人生の目的・目標は、自分が本当は何者であるかを知ることです。人は、自分が何者であるかを忘れて、世俗的な問題に巻き込まれ、不幸に陥ります。古代の賢者たちは、人類を救済するために進むべき道を示しました。彼らは、九種類の礼拝を推奨しました。そのどれか一つでも行えば、至福がもたらされ、人生を贖(あがな)うことができます。神の近くにいることを体験するために、最も容易な道はナーマスマラナ、すなわち、神の御名を絶えず思い起こすことです。このカリ・ユガにおいて、神を悟るためには、ハリ(神)の御名を唱えること以上に素晴らしいものはない、と、聖者ヴェーダ・ヴィヤーサは宣言しました。それは、学者であろうと、無学であろうと、裕福であろうと、貧乏であろうと、すべての人にとって最も容易な道なのです。
– 1996年10月3日の御講話
あなた方は、身体を道具として使いながら、内在者を悟るべきです。そしてこの真理を世界に広めるべきです。―ババ
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月21日
まず、あなたのハートを神への愛で満たしなさい。あなたのハートはタンクのようなもので、諸感覚は蛇口のようなものです。あなたのハートというタンクを愛で満たせば、愛という甘い水が諸感覚という蛇口から流れ出すでしょう。行動は、ハートの中の気持ちのとおりになります。あなたのハートが愛で満たされていれば、あなたの行動はすべて愛で満たされるでしょう。井戸の中に石を投げ入れると、井戸全体に波紋が広がります。同じように、あなたの心(マインド)という湖の中に、良い思い、または悪い思い、という石を投げ入れると、その影響が体のすべての手足に広がります。悪い思いがあなたの心(マインド)の中に入り込むと、あなたの目は悪いものを見、あなたの手は悪いことを行い、あなたの話す言葉は悪くなり、あなたの耳は悪いことを聞き、あなたの足は悪い場所ばかりに歩いていくようになります。その思考の影響は、頭のてっぺんからつま先まで、全身に広がるでしょう。ハートが一番大切なのです。心が清らかでないと、人生は無意味になります。
– 1996年7月23日の御講話
あなたのハートから湧き出す神性という泉は、神々の食べ物よりも上等です。あなたのハートの甘さも、偉大さも、パワーも、そうなのです。―ババ
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月22日
すべてを愛しなさい。すべての中に神が存在すると信じなさい。皆を幸せにしなさい。そうして初めて、あなたは幸福を手に入れることができます。他の人を幸せにすることなしに、あなたが幸せを得ることは不可能です。このウガーディの日に、己のハートを清めることを固く決意しなさい。過去は過去です。それをやり直すことはできません。道を歩いているときは、前にある道を見るべきです。後ろを振り返ることに、何の意味があるでしょう。それと同じで、過去について思い悩むのは無意味です。未来は不確実です。明日まであなたが生きているという保証は、どこにありますか?ですから、将来のことを心配する必要はありません。現在を生きなさい。それは普通の現在(オーディナリー・プレゼント)ではありません。過去の結果も、将来への種子も含まれているという意味で、それは遍在(オムニプレゼント)なのです。ですから、現在を適切に活用すれば、自分の将来は安全かつ確実であると安心できるのです。
– 2002年4月13日の御講話
霊的探究は、時間を活用する正しい方法です。―ババ
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月23日
時代は流れ、世界はさまざまな変化を遂げましたが、人間のハートには変容がありません。教育が人間に変化をもたらしていると言う人々がいます。疑いなく、変化をしてきました。しかし、それはどのような種類の変化ですか?それは、人間のハートを変容させるのではなく、人間の心(マインド)を悪化させる異常な変化です。実際のところ、現代教育は人間の混乱に拍車をかけています。人間は本来学ぶべきことを学んでいません。人間は、獣のような性質を育て、悪魔的な行為に耽ることによって、人生を浪費しています。バーラタ(インド)の文化は、多様性の中に潜在する一体性に重きを置いています。それは、私たちがこの一体性の原理を理解し、自らを救済するために働くことを求めています。しかし、私たちは古の文化に反する物事に従っています。そのため、現代においては、一体性をさまざまに分断しようとする、いわゆる教養ある知識人の数が増えており、多様性の中に一体性を見出す高潔な魂の持ち主たちの数が減っています。古のインドの人々(バーラティーヤ)は、すべての人の幸福に大きな関心を寄せる生き方をしていました。彼らは、他の人々を幸福にするこ�
�とに充実感を見出していたのです。
– 2002年4月13日の御講話
多くの技術的、科学的な変化が起きている世界においては、近代性と霊的伝統と国の文化的遺産のバランスを保たなければなりません。―ババ
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月24日
あなたを通して語っているの はラーマであり、ラーマだったらそう言うだろうと考えるようにして、一語一語を大切にしなさい。決定的に重 大な状況においてラーマとの約束どおりに行動しなかっ たことを、ラクシュマナがどれほど後悔したことか考えてごらんなさい。ラーマはラクシュマナに決してシー ターを庵に一人残してはいけないと頼んでいましたし、 ラクシュマナもそれに同意していました。ですが、ラクシュマナはその場を立ち去り、そのせいでラーヴァナはシーターを誘拐して自分の島へと連れ去ることができたのです! ラーマはアートマ ラーマ、すなわち、内なる神の声です。それに背いたり、それを避けたりしてはいけません。いつもその声が自分に警告を与えてくれますようにと祈りなさい。謙虚に祈りなさい。そして、その忠告に託すのです。そうすれば、ラーマは慈悲深くあなたを正しく導いてくれるでしょう。バドラーチャラムのラームダースは、牢屋に入れられ、 容赦なく鞭で打たれました。けれど、決してラーマへの 信仰を失いませんでした。彼は悲しげに恩寵を求めて祈りました。そして、拭
�世硫霪�砲茲辰胴虧笋�薺澆そ个���れることができたのです。揺るぎない信仰は霊的な成熟の証しです。それは、自らの内なる実体、揺るぎない核 心、すなわち、人の中に在る神に気づいたことによって もたらされたものです。
– 1983年4月21日の御講話
主の命令に従う者は実に安らかであり、ヨーギである。主の命令に従わない者は病人(ローギ)である。―ババ
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月25日
ダルマというものは、一人一人が思いつきで決められるものではありません。自分のハートから出てくるダルマが自分のダルマであり、どうしてそれが神のダルマになるのか、と言う人もいるかもしれません。ですから、あなたのハート、すなわち、肉体的なハート(心臓)ではない霊的なハートの中に、真我の原理を見出し、認識するよう努めなければなりません。「私が」という言葉はアートマに属しており、決して肉体には属していません。それゆえダルマは、私たちのハートから生まれて、私たちによって実践されるべきものなのです。ヴィヤヴァハーリカ ダルマ(法律に定められた義務)や日常生活に関するダルマは、日々変化します。日々変化するものは、真のダルマではありません。ダルマは永遠であり、不変であり、真理です。もしそれが変わりやすいものであるなら、なぜそのようなダルマを確立しなければならないのでしょうか。私たちはそれに従って行動すべきですか?『ラーマーヤナ』の中で、ラーマは「ラーモー・ビグラハヴァン・ダルマハ」(ラーマはダルマの体現者である)と表現されています。たとえラーマが肉体を持っていたとしても、ラーマが生き
�¬枠呂鮗┐掘¬ね莟聞紊砲錣燭辰得い乏領�靴織瀬襯泙榔扮鵑離瀬襯泙任后�修譴鷲塋僂凌人�覆里任后��
�厩群年夏期講習、第11章
ダルマ的活動の流れは決して干上がってはなりません。その冷たい水が流れなくなると、確実に災害が起こります。―ババ
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月26日
喜びでハートを満たすことによってハートを清浄にし、その喜びを他の人々と分かち合いなさい。この魅力的な姿をとった神を崇めなさい。セヴァに必要な資格を吟味してみると、自惚れ、貪欲、妬み、憎しみ、競争心などに汚染されていない、純粋なハートが肝要であることがわかります。また、生命力、美徳、そして正義の源である神への信仰が、必須であるということがわかります。セヴァは、万人のハートに内在する神に捧げる礼拝です。人に、どの州の出身かを尋ねたり、どのカーストや信条に属しているかを聞いたりしてはいけません。あなたが他人と思うその人の中に、あなたが最も愛する神の御姿を見なさい。実を言うと、その人は「他人」などではありません。その人は、神の生き写しであり、あなたも同じくそうなのです。あなたは、ある「個人」を助けているのではありません。あなたは、その人の内にいる「私」を愛しているのです。私は、その人の姿をとって、あなたの目の前に立っているのです。ですから、エゴが頭を出す隙間がどこにあるでしょうか?義務は神であり、仕事は礼拝です。どんなに小さな仕事であっても、それは神の御足の前に供えられる一輪の花�
�です。
– 1970年3月4日の御講話
神を愛する最良の方法は、すべてを愛し、すべてに仕えることです。―ババ
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月27日
あなたには、何百万人もの人々を助ける計画に参加する機会がないかもしれませんが、足の不自由な子羊を持ち上げて塀の向こう側に渡したり、盲目の子どもの手を引いて混雑した道路を渡してあげることができます。これらも礼拝の行為なのです。セヴァは、霊性修行者に通常勧められる、ジャパや瞑想、礼拝や犠牲の儀式よりも、効果的です。その理由は、セヴァは、エゴを消滅させること、至福を手に入れること、という2つの目的を果たすからです。あなたの近くに座っている人が悲しみに沈んでいるときに、あなたは幸せでいられますか? いいえ、それはできません。赤ちゃんの痛々しく泣く声が聞こえたとします。あなたは可哀想に思って、涙ぐんでしまいます。それはなぜでしょうか? 両者の間に目に見えない絆があるからです。人間のみが、そうした思いやりの性質を所有しています。人間のみが、他の人が幸福なときに幸せに感じ、他の人が不幸なときに不幸に感じることができるのです。人間が万物の霊長であり、動物的進化の頂点であるのは、そのためです。人間のみが、セヴァをすることができるのです。それが人類特有の栄光であり、固有の能力ぁ
�任△襪里任后��
�厩薫年3月4日の御講話
誰かに奉仕することは、私に奉仕することです。なぜなら私は万人の中にいるからです。―ババ
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月28日
ラーヴァナは世界に大いなる教訓を与えました。彼は叫びました「おお、人間たちよ!私が生きてきたように生きて、そなたの人生を台無しにしてはならない!」 ラーヴァナが破滅した根本的な原因は何でしょうか?己の欲望に打ち勝つことができず、己の衝動を捨てようとしなかったラーヴァナは、一族全員を破滅させました。彼の息子たちは殺され、弟や他の近親者も死に、最終的には彼の国そのものが灰燼に帰しました。ラーヴァナは告白しました。「最終的に私は私自身を破滅させた」。これが、ラーヴァナが同胞たちに最期の瞬間に残したメッセージです。欲望を押さえることによって、初めて人間は自分が人間であることを明らかにするのです。己の欲望に引導を渡すことができない人間は、自分自身に引導を渡すことになるのです。善良な人は、その善行によって偉大になります。ラーヴァナは偉業を成し遂げようとしましたが、善良な人生を送る努力はしませんでした。ラーマの経歴は異なります。ラーマは善良な人間になることだけを志し、偉大さは求めませんでした。
– 1997年4月16日の御講話
世界を征服することによって、人は世界を統治する最高位の支配者となることができます。しかし、己の感覚を制した者は、あらゆる支配者よりも優れているのです。―ババ
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月29日
市場で売られているさまざまな砂糖菓子を食べることによって、あなたの健康は損なわれてしまいます。これらの菓子はおいしいかもしれませんが、あなたにとって有害です。その代わりに、偉大なリシたちによってラーマの御名という砂糖菓子が用意されました。この菓子は、あなたの心に素晴らしい効果 をもたらします。けっして古くなったり腐ったりすることはありません。ラーマの御名という砂糖菓子を食べれば食べるほど、より多くの喜びがそこから引き出されます。それは砂糖よりも甘く、カード〔凝乳〕よりも美味なのです。ラーマの神聖な御名は甘美さに満ちており、その甘美さは永遠に変わることはありません。これまで、地上には多くの神の化身が降臨しています。けれどもラーマの神聖な御名は、永遠に不変です。古の時代から、ラーマの御名は万人のためのターラカ マントラ(解脱を与えるマントラ)として残っています。子どもから老人にいたるまで、すべての人がラーマの御名を唱えることにより至福を得ることができます。ラーマの御名の甘美さを体験するのに、年齢は障害にはなりません。この御名には、はかり知れない甘美さがあります。私た�
�ちはけっして、そのように甘く甘美で喜びに満ちたラーマの御名を、たとえ一瞬でも放棄するべきではありません。
– 2006年4月7日の御講話
心の中に主を描き、その御名を口にしなさい。そうすれば、その御名を歌うことの喜びを感じるでしょう。―ババ
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月30日
ラーマの第一の教えは、人はサティヤ(真理)に従うべきであるということです。サティヤ(真理)をダルマ(正義)の基盤としてダルマを維持し、促進するべきです。ダルマは特定の場所や国に限られたものではありません。ダルマはあらゆるところに存在します。ダルマはサティヤから生まれました。実のところ、ダルマはサティヤなくして存在することができません。ダルマとは何でしょう? それは、ダラヤティ イティ ダルマ(維持するものがダルマである)です。中にはダルマを、ただ貧困者たちに食物を与えることや慈善行為であると間違った限定をしている者もいます。ダルマは自分自身のハートから流れ出なければなりません。その上で、ダルマは実践されるべきです。自分が話したとおりに行動しなさい。これが人間の最も重要な義務です。言葉と行動は完全に一致しているべきです。逆に、もし人が、あることを話し、それに反することをすれば、それはアダルマ(正義ではないこと)を意味します。想いと言葉と行動が一致したときにのみ、人間と呼ばれる資格があるのです。 ラーマは想いと言葉と行動の一致を達成しました。これとは対照的�
�に、ラーヴァナの想いと言葉と行動は同じではありませんでした。
– 2006年04月07日の御講話
ラーマーヤナが伝える理想のすべてを、一人一人が正しく理解し、実践すべきです。そうして初めて、人生に充実感が得られるようになるのです。―ババ
プラシャーンティ・ニラヤムからの御言葉 – 2023年3月31日
今日の世界は、ラーマの物語を切実に必要としています。一例を挙げると、現代の息子たちは父親の命令に従っていません。父親たちは子供たちに正しい手本を示していません。弟子たちは師を正しく尊敬していません。師は弟子たちに愛情深く接していません。友人の間にすらも愛はありません。親戚付き合いは疎遠です。人生のすべての分野において、すなわち行政においても、農業においても、ビジネスにおいても、政治においても、不和が蔓延しています。社会的分野や政治的分野において、そして霊的分野においてすら、分断と争いがはびこっています。このような状況の原因を探ると、すべての根本には利己心があることがわかります。基本的な要素は全人類に共通しています。世界は一つの家族であり、すべての人は兄弟姉妹です。ラーマはこの基本的な真理を世に向けて説きました。彼は、日常生活における義務、社会的義務、そして家族に対する責任を世に教えました。この義務の三つの流れが、『ラーマーヤナ』のメッセージです。この三つの流れの中で沐浴する者は、誰であろうとも、己の罪を免れ、救済されます。全ての人がラーマーヤナを読み、読み直し、生きなけれ�
�ばなりません!
– 1997年4月16日の御講話
あなたの中から利己心が一掃された日、あなたのハートの中で神性が花開くでしょう。―ババ